子授かり 安産 安全祈願の乙姫子安河原観音 と 乙姫神社を参拝してきました。
乙姫神社
神社の由来・・・乙姫神社の祭神は新彦の命の末娘とも、健磐龍命の妃阿蘇都比媛とも、新彦の命の長男、惟人命の妃とも言われています。
そのいずれからの妃が「疱瘡」を患い、狩尾の黒山に身を移し、治療され、よくなって乙姫の生家に帰宅されました。
現在の乙姫神社の赤松の中段にきらきら光るものが見え、この光が神々しく御幣のようであったので、妃の社として祀ったのが乙姫神社です。そうした謂れからこの社の御神体は後ろ向きに祀られ、お顔を正面から拝見できません。
この社の創設は仁寿元年(851年)であり、浜神社よりも23年遅れて建設されています。阿蘇谷で2番目の神社です。
子安河原観音へは乙姫神社からは車で5分の距離です。子安河原観音への子授け祈願が叶ってのお礼参りを済ませた後に「乙姫神社」まで足を伸ばし、生まれてきた赤ちゃんの健やかな成長を願ってお参するのが順序のようですが、私たちは逆に訪れてしまいました。(-_-メ)
コロナの影響でしょうか、私達以外に参拝者はいませんでした。
乙姫子安河原観音
乙姫子安河原観音の由来・・・むかし、黒川のここ乙姫に赤松の大木があって、天気の良い日に松の中段に、何かキラキラ光っているのでよく見ると、金の御幣が掛かっていた。「きっと神様がお泊りになっている」というので、阿蘇のお宮に使者を出したら、乙姫さんがお移りになったということが分かった。どうしてお移りになってこられたかは、人に見られたくないということで、また疱瘡にかかられて良くなられたので出てこられたとも伝えられている。そのようなことでこの神様は疫病平癒の神様として、昔から子供を持つ母親が幼児をつれてお参りする者が多いという。乙姫神社の御神体は、後ろ向きに祀ってあって、お顔を人に見られぬようになっているという。
乙姫川上流の地に乙姫子安河原観音様は「子授かり安産」の守り神として広大無辺な慈悲の姿で鎮座されています。上向きに寝た女体の形をした自然石が観音様のお姿です(下写真の赤い〇印の部分)。
神功皇后が渡海の際、御懐妊中であったので尊体の安全、安産を祈られたと伝えられ、また大正天皇の御出生にあたり、第87代阿蘇大宮司惟敦は、七日七夜、御安産を祈られ、その御神石を宮中に奉持し大金を下賜されました。
このように古来から皇室の尊崇あつく遠近各地の信仰をあつめて参拝者が絶えませんでした。子授けを願う人は祈願のうえ、ここの河原の石を持ち帰り股にはさむと必ず子宝に恵まれると言い伝えられています。
子供の欲しい人や、かつて難産を経験した人達が安産を得ようと遠方から遥々お参りにやって来られます。
子授かり祈願の場合のお参りの方法
1 記帳簿にお願いごとなどを記して拝殿でお参りします。
2 絵馬(慈母観音)にお願い事を書き絵馬掛けに
3 男の子は青又は淡い白色御守り
女の子は朱又は赤色御守り
子安河原神石御祈禱札
4 石段を降りた河原に鎮座されているご神体へ向かい心を込めて更にお参りします。(ご神体に近づき触られ、おさすりされることもできます。)
男の子を授かりたい方は黒の石
女の子を授かりたい方は赤の石
河原の石を持って帰り股に挟んで寝ると必ず願いが叶うと言い伝えられています。
5 安産のご祈願、かつて難産を経験された方のお参りも前記に準じてお参りください。
お礼参りの方法
1 願いが叶いましたら、石は捨てずにお礼参りの際、お堂に返しください。
2 子授かりご祈願に準じてお参りください。
3 お礼参り絵馬(報恩感謝)
『あか牛丼いわさき』で昼食
「まぼろしの味噌」が絶妙に絡み合う【あか牛丼】
阿蘇に来たらやっぱり食べておきたい「あか牛丼」。2018年3月にOPENしたあか牛丼のお店です。
旨みと柔らかさを兼ね備えた美味なる「あか牛」と、江戸時代から続く味噌醤油蔵 山内本店がつくった「だし醤油ダレ」&「あか牛肉みそ」が相性良く絶妙に絡み合うこだわりの逸品を提供しています。
食べログにも掲載されている有名店で13時を回っていましたが長蛇の列で30~40分待ちでした。
牛丼のお肉の焼き加減は希望に応じてくれます。私は『レア』が苦手なので『ウェルダン』にして貰いました。
阿蘇ファームランド
自然の地形をそのまま活かした、森の中のドーム型ホテル。 300棟以上ありながら、客室がひとつひとつ異なるテイスト。 部屋の周囲には木々が茂り、小川が流れ、高原の風が吹き抜けています。
GoToトラベルの対象施設となっていて駐車場の殆どは県外からの車でした。
私たちは友人の子供と一緒だったのでファーム内の全天候型運動施設 元気チャレンジ館を訪れました。元気チャレンジは館巨大な迷路など全身を使って数々の障害物にトライしながらゴールを目指と言う施設です。
数鹿流崩之碑
2020年10月3日、国道57号線、熊本地震から4年半、ようやく国道57号線が開通した。
途中の展望所には南阿蘇村震災遺構として数鹿流崩之碑が建てられ、後世に伝えられるようだ。
阿蘇大橋の黒川左岸にぶら下がった橋の一部分も震災遺構の一つになったようである。